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イタリア紀行 TRE  Come posso andare fino al Basilica di San marco

朝のベネチアランニング 5.5kmほど走ります。
ちなみに、朝の6時ぐらいですよ。
昨日のサンタマリアデッラサルーテ教会がみえます。
朝は気持ちいいよ。

緑の公園

のどかですよ。

溜息橋 囚人が牢獄にうつるときにとおった通路。
実際にドゥカーレ宮殿にはいればとおれます。
カサノバがここから脱獄したとか
どうみても曲がっている塔(ピサにいかなくても斜塔がみれますよ)
ベネチアはみずびたしになることもあると排水溝がこれではね。
WCの案内も道に

けっこう、地盤沈下か起伏あります。
朝はサンマルコ広場は人がいません。
ゴミもこんなもので人力であつめています。

ゴンドラたちも休憩中

ホテルの朝食です。朝からシャンパンです。
カフェオーレ
海を見ながら、食事。気分爽快。
教会もみえます。。ただね。隣に吸わないヘビースモーカー日本人が座ってね。
頭が痛くなった。。。

ここらで少しお勉強。このあと、ベネチア観光にでかけます。

ベネチアの歴史
街は5.6世紀のゲルマン民族からアドリア海沿岸の住人が避難したことから
始まり、7世紀のロンバルト族から移住が本格化したというから、
避難の場所だったのだろう。
確かに、湿地帯の干拓地にそう移住する人間はいないだろうな。

思うに、この、不便そうなところに、
住み着くことで、結束感のようなものがあったのか。
809年にはカール大帝の子どもピピンの侵入をはねのけたという。
829年には聖マルコの遺体をエジプトから持ち帰り、宗教的シンボルにするというから
この時点で、社会的、宗教的独立国家を目指すようだ。

土地の不便さは一方で、守るにも適しているのかもしれない。
地理的には、1202年から1204年の十字軍では、主導権をにぎる。
コンスタンチノープルの占領で、戦利品を持ち帰ったという。

ジェノバとの覇権争いに勝利し、14世紀には、絶頂になる。
この頃の人がマルコポーロだそうだ。

その後は、共和制国家として、繁栄するも、
1453年のオスマントルコによるコンスタンチノープルの陥落、
1498年のバスコダガマのインド航路の発見に伴い、
ベネチアの地理的優位性にかげりがみえる。

ルネッサンス期はベネチア絵画として、一派を形成。
1571年のレパントの海戦で、オスマントルコを撃破するも、海洋国家としては衰退する。

1797年のナポレオンの入城で、ベネチア共和国は終わる。
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