FC2ブログ

いの一番 と ブラックジャック創作秘話 と へうげもの14巻

実は昨日の続き、、、先週の金曜日です。
今は昔2012年1月27日
昨日のラーメン いぶきのあと、、
天六の駅に向かったのですが、
なんだか、
中途半端な気がして、
なんだか、そのまま帰るのが、
厭になったので。

別の店が気になり、突入。
いの一番というの店
いの一番は真っ先という意味ですよね。
これは、いろはのいが一番という意味
明治時代の言葉だそうですね。

お店は、まずはチケット制です。

ラーメンと うまからそばとがあるみたい。
価格も650円から安い。
なんか、無料で
野菜、にんにく、背脂の量が調整できる。

今度は、すごい量です。
3つを混ぜるみたい。
おいしいかと聞かれると、
はっきりいうと、微妙です。
重たいという感じ。

いろいろな具が麺とも絡まないのです。
なんだか、単独のものを混ぜ物にしたような。

でも、たくさん食べたい人には
人気あるのかも。。

この日は、3つの店にふられ、
2つはいった店はそれなりの
満足しか得られない。
こんな日もあるものです。


ところで、この漫画おもしろかった。
手塚治虫の
エネルギーみたいなのが、
とても、伝わるマンガです。
天才ここに見参って感じ。
そして、なまみの手塚治虫を感じます。

あと、先週発売のへうげもの14巻
NHK のアニメも一旦終了ですし、、
マンガの方は、も少し続くのでしょう。
数寄をとりこむことで、
いかに人心を掌握していくのかという
織部を通して、
信長、秀吉、利休、利休の弟子たちの歴史の中での
活躍をとらえる作品なのかなと
かってに僕は思っていますが、
人物に躍動感があって、好きなマンガです。
ちなみに、僕はクリスチャンとしてではなく、
文化人としての高山右近は昔から好きなのです。
もちろん、織部の生き方好きです。

そういえば、漫画もまた、適度に感想書くかな。

中華そば いぶき と 英国王のスピーチ

今は昔2012年1月27日 金曜日のことですが、
診療の会議の後、
夕食食べるかなと思って、
扇町で天六へ移動中、
鮨がいいなと思って、
千成電話
かい原の暖簾をくぐる。
でもふられる。。
気を取り直して、
ピザでもと思って、、
ドアを開くが、
やはり断られる。
カウンター開いているようだったけどなあ。
ピザ屋は一回、前から寄ろうと思っていたところ、
名前は忘れた。

なんか、そうなると、
帰るのも悔しいので、
すこし、ぶらぶら
しようかなと、
めぼしい店を探す。

天五中崎町商店街を歩いていると、
新しくできたばかりの
ラーメン屋があったので、
ここに入るかというわけで、

お店は いぶき という店でした。
お祝いの中には、ほうば(韓国料理のひとつ星)や焼肉屋などがあるので、
韓国の方なのかな?
というと、どういう味かなと思って入ります。
メニューは中華そばしかない。650円。


鶏豚骨のスープがベースのようだ。
色は濁った色をしている。
味に動物の臭みはない。
伊吹産のいりこの風味が強い。
少し強すぎるぐらいである。
トッピングは鳴門のわかめみたい。
東京で修行したということでした。

チャーシューおにぎりもたのんだ。
これは、おいしいけど、少し
暖めたほうが美味しいと思う。。

ラーメンの印象。
先週、華燕にいいて、料理としてのラーメンを食べたところだし、
麺屋一慶やあす流のようなきれいなラーメンとは違う。
クリフや金久右衛門などのような特徴もうすい。
中華そばということなのだが、中華そばかというと
少し違うイメージ
美味しくないわけではないけど、
まあまあ美味しいラーメン屋のひとつという範疇からぬけでるのは
何かインパクトがいるな。。
メニューが少ないだけでに、、
わかめのトッピングも
なにか、工夫がいるなあ。
盛り付けはやはり、きれいに見せる工夫がいると思う。
ポいっと、わかめをいれたみたな、感じはさけたいなあ、
麺は太めです。
この汁と本当にマッチしているのか?

価格は安いです。
これから進化していってくれたらとおもいます.

とおもいながら、天六の駅に向かいます。

ちなみに、昨日見た英国王のスピーチ
というDVD借りてきて
見ましたが、
これも、おもしろいけれども、
いい映画ですよ。
なんだか、少し、窮屈な映画でしたね。






今城塚古墳と継体天皇

昨日の料理の写真はおいしそうでしたでしょう。
見てください。もう一回ダイジェストです。
今は昔2011年1月24日
今城塚古墳とその整備された博物館によった。
今城塚は、昔から、時々くることがあった。

僕は、暇なとき、
中学生の頃
、時々、訪れるところが、2つあった。

ひとつは、、
万博の国立民族学博物館。
最近は、行かないが、ここには、当時珍しい、ビデオ教材があった。
たぶん、今でもある。
いろいろな国の民族衣装や文化の展示があり、楽しかったのだろう。

もうひとつは、先に書いた今城塚です。
といっても、ぼくが子どものころは、
田んぼと小高い山というか丘というか
そんなところ、、何もない。
たしか、カブスカウトのころ
初めて訪れたのだと思う。
当時、今の継体天皇陵は太田茶臼山古墳だけれども、
本当は、こちらのほうが、本当の継体天皇陵だと教えられた。


通常は、はいりこむことのできない、天皇陵
でも、ここは、なんとなく、入り込める。
それこそ、おとといのシンクロする感じ。
さらに、盗掘するわけではないが、
そんな、あたかも悪いことをしているような
感覚が好きだったのかな。
といっても、当時はまむしがでそうな、単なる山だから
別に、楽しいところではない。
今から思えば、スコップぐらい持って行って、
本当に盗掘でもすればよかった。

いずれにしても、この三島地区というのは、古墳が結構ある。
小学生のころ、昭和でいうと40年代の終わりから50年の初めごろ
茨木から山崎まで塾に電車で通っていたのだが、
その阪急電車は京都に向かって右は淀川と新幹線がある。
高槻をすぎて、山崎あたりまで
は新幹線が並走している。
そんなことで、電車が好きな子供は右の車窓を覗く。
もっとも、勉強のできる子供は
電車の中でも勉強や将棋などしていたが、
出来の悪い子は、鬼ごっこして、
当時は、まだいた雷親父みたいなのに、
怒られていた。

僕はというと、新幹線側と反対
左側の車窓から山側の外を見ていた。
こちらは、JRを見ていたわけではない。
こちら側の総持寺から山崎にかけて、
段々山に近づく地形で、
JRと阪急の間には、
まだまだ、田んぼだらけだった。
そんな、風景の中には、
小高い丘や、
一部分だけうっそうとした神社なんかが
たくさんあった。
また、名神高速の裏側の山から
天王山にかけても、古墳群であることは知られていた。

実は、その風景をみて、、
こんなところに、
なぜ、古墳のようなものがたくさんあるのかと
ぼっと、見ているだけなのだが、
楽しかった、覚えがある。。

きっと、山の古墳のあるところから
手前の田んぼのところは、
古代人が沢山住んでいたに違いない
なんて、思うと、タイムスリップ
する感じで好きだった。

いつのころからか、
さすがに、成績が低下してきたので、
電車で勉強するグループになんとなく
合流せざるをえなくなったが、

ちなみに、最近でも、大学院時代
茨木から京都に通っていた時も
京都に向かって、左側の車窓を覗ことが多い。
宅地開発され、
小高い丘は削られ(発掘したあと)
当時の雰囲気はもうない。
ときどき、古―い看板が
まだ残っているなと思うことはあるけれども、、
蚊取り線香やふるい温泉の宣伝のような、、、

かなり、本題からずれたが、
この今城塚、平成9年ごろから発掘作業が進み
おそらく、去年に高槻市の歴史博物館ができた。

いい展示でした。
今城塚全体が、公園として整備され、

展示館では、
古墳の構造や
発掘された有名な埴輪群や

実際に公園内では再現されている。

阿蘇から運ばれたといわれるピンク石の石棺や

いいところでした。
また、遊びに行こうと思いました。

この、陵は、
墳丘部分に、戦国時代には、砦や山城のようなものがあったという。
その時から、多少の破壊をうけていたことにはなる。
なかでも1596年の伏見地震で、内豪に墳丘が滑落する
大被害があったらしい。その後、復旧されることなく、
田園化していったようだ。
その整備されない状態で、つい数年前まできたのだろう。

この公園は墳丘部に上れる。
よくみると、滑落した部分などの
地形の変化が今でもよくわかる。

こんな身近なところでも、
伏見地震という
自然災害を日本人は
受容してきた姿がわかる。

こんな話面白くないだろうから、
これぐらいにしておこう。
ちなみに、継体天皇の出自など
考えるとおもしろいことがよくわかる。
継体は現天皇家の初代天皇と考える人もいる。
継体は、何らかの先行政権から、
政権を奪ったと考えられているから、、

それにしても、6世紀初頭に生きた継体天皇が今城塚として、
5世紀後半の少し離れた、現在のところ継体天皇陵といわれる、太田茶臼山古墳は
いったい、だれが、葬られているのか。

また、暇になったら、古墳散歩もしてみようと思う。
買った本もおもしろかった。






キュイジーヌフランセーズ きよた in January 2012

キュイジーヌフランセーズ きよた in January 2012

今は昔2011年1月23日 月曜日です。
今年最初のきよた訪問
まずは前半の今日のダイジェスト 

Marie demets
マリー・ドゥメの当主であるアラン・ドゥメがワイン造りを始めたのが1976年のこと。
またマリー・ドゥメというブランドを立ち上げたのは1987年以来となります。
10ヘクタールに及ぶマリー・ドゥメの畑は、
シャンパーニュのアペラシオンの南端に位置し、
シャンパーニュの中心部よりもシャブリに近いエリアにあります。


金美にんじんムース、うに、沖縄みかん

金美ニンジンははじめて
冬どりの黄金色で味の良いニンジン。人参臭さがなく、肉質は軟らかく甘味が強い人参です。人参嫌いの子供も喜んで食べますよ。
ジュースに向いていますし、生でも食べやすいので、普通の人参、セロリか胡瓜と一緒にスティックサラダに、厚さ2~3mm程度の薄いお星様を作るか、ピーラーでリボン状の薄切りを作り、生のままサラダにすると赤・黄・緑とそろってきれいで、食べるまで人参とわからないはず。
中華人民共和国より導入した「Chinese-Yellow」から選抜育成した黄色人参と通常の短根赤系ニンジンを交配して育種された人参です。

42度で焼いたフォアグラ、青りんごソース、早積み白いちご、アングレースソース
いちごとりんごの酸味の種類が違う、とともに、いちごとりんごの甘みも異なり、さらに、アングレースソースの甘味も違うから、酸味と甘みが複雑にからみあって、おいしい。個人的には、今まで食べたフォアグラ料理の中でもっとも、おいしい料理でした。ほんと、おいしかった。

オマール海老とオリーブオイル
定番です。

鳥取かに、カリフラワーのペースト、キャビア、オマールエビのコンソメ、カリフラワーの焦がし粉

タラの白子、ミモレット、天王寺蕪
和風のすり流しのような料理でありながら、タラが濃厚なうまみに、ミモレットで塩味を感じ、、

後半のダイジェストです。

テロワール料理 トリフ、ブラックオリーブ
先月から出たテロワール料理。野菜が上手に焼かれ、粉をかけることで、塩味と焦がしの風味を感じながら食べられる。

鳥取の烏賊とセロリのソース
彼の烏賊は烏賊という感じがしない雰囲気の烏賊でも、当然、烏賊を感じる。色めもすばらしい。

ジョセフペリエ
ジョセフ・ペリエは、1825年、ジョセフ・ペリエによって創立された。5世代に渡り一族によって伝統を守り続けるシャンパーニュの名門。ヴィクトリア女王・エドワード7世など英国王室から多大なる寵愛を受け、この名誉ある「キュヴェ・ロワイヤル」の称号が与えられました。


1999年で熟成が進んでおいしかったです。1990年のワイン専門誌「デキャンター」における評価では、11社しか 3ツ星シャンパン・ハウスが認められなかった中に同社の名は連ねられ ていました。更に、アドボケイト誌においても、価格が3倍は違うという 「ドン・ペリニヨン・ロゼ」と並んでベスト3・シャンパーニュに選ばれてい ます。このような名誉を数々持ちながらも、ファミリー経営で地味で着実 な社風を好む同社は「知る人ぞ知る」シャンパン・ハウスとして根強い 人気を博しています。

菊芋、北海道ホタテ、焦がし玉ねぎ、あわはなんやったかな。
これも、一瞬和のテイストを感じながら、、いいね。。

オマール海老にアメリケーヌソース(甲殻類のからで作るソース)

ビーツ、シャラン鴨、

なし?(箕面)と苺のけずりとゆずのソース

ピスタチオとフォンダンショコラ

いつもながらに、
美味しかったですし、目も楽しみました。
そんなわけで、今年もよろしくですわ。

辻原登さんの講演

今は昔2011年1月21日土曜日 仕事の後、
大阪府医師会の文化講演会
辻原登さんの話をききに、
忘備録なので、適当に読んでください。

講演の要点

ひとつは日本語の発生にかかわること。
大昔、やまとと言われる国には話し言葉としてのやまと言葉が存在したが、文字がなかったと考えられる。大陸から伝わった文化の中に、漢語(漢字)という外国語があった。その外国語の発音をやまと言葉にあてていくような作業から、音読みという文化が発生してきた。(漢文の杜甫の春望や孟浩然の春暁などを例に)文法の違いという障壁をこえて、形成された日本語は奇跡的。
一方で、文化はさらに、進化をすることで、文字に訓読みという手段を産み出すことに成功する。すなわち、雨は音読みではウだが、訓読みはあめというようなこと。
それによって、日本語はより豊かな言語となったということ。さらに、そこに至るには、膨大な時間と選りすぐられたる英知と勇気が投入されたのであろう。
その、日本語をもって、我々は、過去の歴史や言語や文化とシンクロすることが可能になっている。

2つめは、2004年に中国で発見された有名な井真成の碑文です。
この文章がとても格調高い文章であるということ。

原文
贈尚衣奉御井公墓誌文并序
公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能
■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
■日乃終于官弟春秋卅六皇上
■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
■卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水
■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
■兮頹暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
■乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶
歸于故鄕


訓読文
贈、尚衣奉御、井公墓誌文、并序。
公、姓は井、字は眞成、國號は日本。才は天縱に稱ひ、故に能く命を遠邦に■、騁を上國に馳せり。禮樂を蹈み、衣冠を襲ひ、束帶して朝に■、與に儔び難し。豈に圖らんや、學に強めて倦まず、道を聞くこと未だ終へずして、■移舟に遇ひ、隙奔駟に逢へり。開元廿二年正月■日を以て、乃ち官弟に終へり。春秋卅六。
皇上■傷して、追崇するに典有り。詔して、尚衣奉御を贈り、葬むるに官をして■せしめ、卽ち其の年の二月四日を以て、萬年縣滻水■原に窆るは禮なり。
嗚呼、素車は曉に引きて丹旐哀を行ふ。遠■を嗟きて暮日に頹れ、窮郊に指びて夜臺に悲しむ。:其の辭に曰く「乃の天の常を■、茲の遠方なるを哀しむ。形は旣に異土に埋むるとも、魂は故鄕に歸らんことを庶ふ。」と


意味
姓は井、字(あざな)は真成。国は日本と号す。生まれつき優秀で、国命で遠くにやってきて、一生懸命努力した。学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。
ところが思わぬことに、急に病気になり、開元22年(734年)の1月に官舎で亡くなった。36歳だった。
皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない


この井真成は、どうも、717年の遣唐使で、19歳で留学したと考えられるが、日本側には、身分の低いものの記録はないこと。(タイタニックの2等みたいなものかな)そのときは総勢557名であったこと。わっかてる。ほかには、玄昉、吉備真備、阿部仲麻呂(20歳)などがいた。彼ら、貴族は、高等教育をうけ官職に就いた。井真成は身分の関係で、それほどの教育の機会はえなかったと考えられる。
では、この急死した留学生の碑文は誰が書いたものかという謎。

遣唐使はいわずとしれた、630年から菅原道真の建議で廃止される894年まで都合20回あまり、派遣されたと伝えられている。その予算は、かなりのものであったと言われている。

なかでも阿倍仲麻呂は帰国がかなわなっかたわけだが、
科挙に合格し、玄宗皇帝に重用され、皇太子の教育係や図書館長的な役目にまで出世している。かれは、最終的には安南節度使〔ベトナム地方長官〕にまで出世している。そんな、阿倍仲麻呂と井真成は似たような出世コースを歩んでいたと推測される。もしくは、出世コースからははずれてほそぼそと暮らしていたのかもしれない。。。
したがって、この碑文は、玄宗皇帝の新任も厚かった阿倍仲麻呂が友人である井真成のため(1歳違いですからね)に書いた碑文ではないだろうかという話。。

3つ目の最後のもう一点は、この阿倍仲麻呂の有名な和歌に、
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かもというのがある。実は、この歌は905年に醍醐天皇の時代に古今和歌集の中に編纂されている。しかも、この歌は、望郷の歌と解釈されている。一般的には、玄宗皇帝から帰国を一時的にゆるされ、明州から日本に帰国の途に着くときに読んだとされる。
そのときは、帰国船団に、藤原仲麻呂のおいの藤原清河や吉備真備や鑑真がいた。結果、阿倍仲麻呂の船のみ、沖縄で座礁し、ベトナムに流されたと伝わる。当時の阿倍仲麻呂は56歳であった。帰国のラストチャンスだ。
このときの遣唐使の主目的は鑑真をつれてくることと阿倍仲麻呂を帰国させることであったという。
では、なぜ、この望郷の歌が、当時の帰国した人々から、これが阿倍仲麻呂が読んだのだと日本に伝わらなかったのかということに疑問を投げかけている。というのは、このとき、日本に、阿倍仲麻呂の歌として伝われば、万葉集の編纂に間に合ったというのだ。まして、一級の歌人であり(李白などとも親交があった)、官僚であるこの仲麻呂のうたを、帰国して日本に伝えなかったことこそありえないのでは、ということを言っておられた。したがって、そのときに詠んだ歌ではないのではないか。もっというと、ほんとに、阿倍仲麻呂が歌ったうたなのか。
仮に、彼が歌ったとして、なぜ、160年後、阿倍仲麻呂の歌として古今和歌集に編纂されることになったのか、、??そうなると、うたの解釈も変わってくるなあ。という話です。

そのようなことが内容でした。
非常におもしろいお話でしたわ。。
作家のいろいろな内容に思いをはせるエネルギーを感じました。
彼は、和歌山の熊野のひとで、教育大付属天王寺に通学していたそうです。
ちなみに、医師会に行くまでに井原西鶴の墓の碑がありました。

明日は今年初訪問のきよた

同じ日にNHKでのアンジェラアキの番組
ジャニスイアンの歌がやっていた。なつかしい。

Will you dance?


You are love
復活の日
これで、ジャニスイアンを知りましたね。。僕は


Love is blind


Head light Tail light
中島みゆきの

御堂筋のイルミネーション

今は昔2011年11月20日金曜日
小雨もあがり、
かなり冷える日ではあったのだが、
仕事の帰り
上六から梅田まで歩いた。
金曜日はフィットネスが休みなので、

どうせならと、
22日までの
御堂筋のイルミネーション
を見ようとでかけた。
頑張ろう日本から、

新橋から博労町ぐらいまではピンク

本町のガーデンシティ前は
ALL FOR ONE

イルミハート
もう、旬もすぎたためか
カップルもいない。
大人気のカップルベンチだそうだ。。

船場センタービルの前の
なんとなくチープなイルミ
白馬の王子様でもくるのだろうか。?

どことなく
ルミナリエ風だな。

大阪芸大の人のデザイン
被災地への復興の思い。
生命あふれる光の樹ということだが、
真ん中は地球
裏側、どう思います。?
僕はこのセンス納得いきません。
こういうコンセプトのものを作るとき
イルミネーションとしての美しさと
伝えるコンセプトがはっきりしないと。
子どもぽいコンセプトに
デザインまで幼稚です。

本町通あたりは黄色ですね。

大事な中心部という
子どものスケッチから火と水が象徴され
中央がやはり、地球。
なるほど。小学生の発想がこれですから、
先ほどの大学生、、どうよ。。

芝川ビル 
このビルは夜みるときれいですね。
ヨーロッパにみぎれたような。
一瞬ですよ。。

今橋からミナミ方向。
さすがに、きれいな。
車もテールランプのおうがきれいですね。

LOVE LOVE OSAKA
単純だけど
これがきれいですね。

そのあと、天満前で、
こんなクレーンが、、キリンかな。
その後ももくもくと歩いた。

先週のことでしたが、
今週はより寒いねえ。

今週の月曜日にキュイジーヌフランセ―ズきよたに今年初訪問してきました。
土曜日あたりにアップします。

Hanaful 果物系のスイーツ と 軌道線隊の話


倉敷の水島に工場がある
株式会社なかむらというところからでている、
hanafulというデザートです。
上本町近鉄にもはいっているので、
今週の昼ごはんです。

実は、今は昔2011年11月18日(水曜日)に
知り合いのドクターの奥様(このかたもドクター)
に頂きました。
消費期限まで、時間もあるので、
こりゃ、昼飯にいいやということで、
3回ほどに分けていただきました。

時々、タルトは購入するのですが、
このゼリーはより自然な感じです。
もっとも、果物のままのほうがうまいのちがうのか?
というつっこみはなしです。
最終日はゼリーが、とけつつありますね。

こういう系統なら、クリニックの近所の
あるお店がおすすめなのですが、
また、それは、別の機会に、、

そういえば、19日の木曜日
福知山の帰りにみかけたおじさん。
この寝方はどう!
この仲間達、総勢10名ほど、
騒ぐわ。うるさいわ、、
蟹の季節は
日本海側の電車は
蟹食べた人でにぎわいますが、
とんでもない輩もいます。

そういえば、
先週から大阪市営地下鉄の
気になるキャラクターののった吊り広告
2つ。。
軌道線隊とかなのる。
体の色が各路線の色で
胸にその路線の最初の文字がひらがなで
あしらわれています。
どうなんかな。。
民営化とか言っている時期に
こんなくだらない
キャラクター作って、、
これに、いくら税金かけたのかな。。

華燕で、、ラーメン堪能し、結果、消費エネルギー以上摂取か?その結果、家夜ごはんは、、

今は昔 2011年11月22日
10kmのあと、打ち上げを、、と思ったが、
スタッフの子どもさんが熱出していたり
ということで、打ち上げは延期。

家内とうちの応援に来てくれた次女と3人で、(長女は模擬試験とやらで不在)
マラソン会場の競技場の近くにある
富田の牧田団地内の
もともと中華でおいしかった、
麺厨房 華燕に行くことにした。
しかし、よーく混んでるわ。
30分ほどは待ったでしょうかね。
中華料理屋だったころは、
ときどき、来たんだけど、
このあたりはまだ、昭和の雰囲気ですよ。
そう、坦坦麺のおいしい中華屋から
麺厨房に変化して、
ブレイクしてからは、足が遠のいていたので、
がんばって、待ちました。
辺鄙なところだから、
このラーメン目的に来ている人ばかりだから、
みんな、根気よく待つわね。
店の中も、中華料理屋のなごりを
のこしているので、
通常のラーメン屋より、回転が遅いです。
まあ、中華料理屋時代を知っているので、
中華料理を食べると思えば平気ですわ。

まずは、坦坦麺(辛さは調節できるそう、今日は普通)
ただし、これは、大盛りです。200円追加だったと思う。
ほんと、中華料理の坦坦麺なのです。
スープが、料理としてしっかりしているから、本当においしい。

次はにんにくブラックラーメンです。750円かな。
これに、坦坦みそ丼をつけました。
汁は黒、醤油ベースなんでしょう。ニラとにににくと背油かな。
かなり、濃くがあり、やはり、中華料理ベースノ味付けなんです。
麺は太めです。麺に、うまく、まったりとした粘度の高い(脂のせいでしょうか)汁
がついて、おいしいです。

坦坦みそ丼がまた、おいしい。

最後にねぎ塩ラーメン。これも750円です。
セットでチャーハンつけました。
これも、とてもきれになスープで、
どちらかというと、いわゆる、中華スープベースの汁に
細めんがのるよう。そのスープがまた、おいしいのですよ。
チャーシューが、やはり、中華料理屋の料理なのです。

当然、チャーハンは中華料理屋のチャーハンです。
パラパラですし、おいしいです。

今度は、うわさの汁なし坦坦麺をくらいにきますわ。
でも、昔の中華料理のメニューが懐かしいなあ。。

ところで、
そのあと、10km走ったとはいえ、
さすがに、食べすぎて、しまったことにきづいたので、
(もちろん、これ一人で食べたのじゃないよ)
買い物をかってでました。
リュック背負って、
走りだしたものの、膝が痛い。。
ウォーキングに切り替えました。
南茨木方向の2km先の肉屋 
薩摩まで買い出し、、
買いだしたものの、
走れないので、ウオーキングなら、も少し遠くに行こうと、
土曜日の講演きいた辻原登の本を探しに、(これが、ないのね。)
そうや、古本屋まで行こうというわけで、
旧茨木川(うめたてて道になってます。)沿いに歩きました。
 
そんなわけで、佐和良義神社まできてもうた。
このあたりの地名は沢良宜だ。

説明書きなんて長く住んでいるが読んだことなかった。
そういえば、このあたりは、高校のテニス部のころは
いやいや走っていた。ちなみに走り書きの内容は

当社は延喜式神名帳に記載された式内社で沢等良宜郷の通称「大宮さん」という。
万博を機に阪急南茨木駅を開設、ビル建築、小川改修が行われた。昭和48年春から49年秋にかけて弥生時代の銅鐸鋳型を始め住居跡や土器、土拡墓など多数発見されたところホヤホヤの新住居表示そのままに東奈良遺跡と命名された。
カクツチはカグの神、カグは銅の古語、サワラも銅器を指すので地名と神名が一致し、[ギはムラ]この鋳造工房跡は約2千年前にこの地にあった「さわらぎ遺跡」と確認され出土品はすぐ近くの文化財資料館に展示されてる。
境内社の八幡宮は沢良宜城の鎮守社で6百年前、足利初期の城館、早く退転して農地となり今は美沢高層住宅地になっている。
  神は人の敬うによって威を増し、人は神の徳(メグミ)によって運を添う。
            昭和61年10月 責任総代 高島好隆撰


このあたりの300m離れたところに銅鐸が見つかっている。
カグツチはイザナミから生まれた時、火の神だから、やけどさせたという神です。
そこらあたりが、この神社のいわれなのでしょうか。

もう少し、進むと 道祖神社と水神社がありました。
猿田彦が祭られています。
道祖神社は創建 十五世紀末から十六世紀初め沢良宜郷が解体され3字が誕生。その際、浜村の鎮守として創建。
水神社は遷座 一津屋分水口(現、摂津市)から安威川合流口までの神崎川改修工事の現場に祭っていた水神を工事完成後の翌年、明治十二年(1879)に当境内に遷座
結局、古本屋でもなく、またの機会に、、

おりかえして、水尾と玉櫛あたりに、
こんな祠のある神社を見つけました。
水尾の公園の中にあります。
伯光神社(はくみつ神社、はっこう神社)別名:稲荷神社
近所にこんなものがあったのか。
えらいでかいクスノキですね。
始めて知りました。
由緒書きです。

この祠は伯光神社といい、伯光(ハクミツ)大明神が祀られています。
天保6年(1835年)の同社由来書によれば、当地の奥田家の長屋門新築の地鎮の儀に際し、稲荷さげの巫女に楠の大樹に811年に及び伯光大明神が宿っているとのお告げをうけ、奥田四郎左衛門ほか4名が講元となって祀ったといいます。
なお前年の天保5年夏の大旱害に村人達は藁でつくった竜をこの大樹に天に向かって這わせ雨乞いをし、その恵みをうけ、その霊感をえたのでしょう。その後幾度かにわたり旱害の折、祈りと願いが続けられてきました。
竜は藁束を縄で巻き、長さ5間程(約9m)の胴を作り、鱗として琵琶の葉を一面に挿し、眼や歯は茄子、ヒゲや手足は竹で型どり、大きく開けた口からは薄くはいだ青竹の皮で風でゆらぐようにつくられました。頭部は辰巳の方向に延びた枝に置き、尻尾は水をたたえた酒樽に浸し、立てた高張提灯の灯で照らし出し夜通し竜に水をかけて祈る。
このように7日間昼夜祈りつずけても、雨の降らない時は、その竜を高瀬川に流し、もう一度新しい竜を作りなおして再び祈りつずけたといいます。祈願の功あって雨に恵まれた時は、太鼓の合図で「テントのおかげ、ヒヤクに米1斗5升」といって村人が神酒を酌み交わして、神に感謝し、喜びを共にしました。この地が灌漑用水に苦労する土地であった事が特異な雨乞い習俗を生んだ一因であろう。この行事は、昭和22年(1947年)の大旱害を最後に、このような催しは途絶えました。
それは淀川を経て琵琶湖の水を利用する灌漑用設備が整ったためです。
      宮守  茨木市水尾2丁目3番8号  奥田登 


そのあと、スーパーで買い出しして、
結局、その日の夕食は、軽めにしようということで、

私の作ったサラダ
フルーツサラダ キウイ、りんご、伊予柑、ネーブル、
ヨーグルト2に、オリーブオイル1、塩、砂糖少々というドレッシング

ハムときゅうり
ヨーグルト2に、マヨネーズ1、ブラックペッパー多めのドレッシング

キウイとりんごとヨーグルトのソースというかジュースというか、、、
見た目おいしそうでないですね。

第20回高槻シティ国際マラソン 10km 46分8秒でした。

今は昔2011年1月22日 日曜日
なんとか晴れてくれましたね。
家内やうちのスタッフも走りたいというので、年末にエントリー
スタッフや家内は5kmにエントリー
ハーフはしんどいので、
今回、私は10kmに、エントリーです。

スタート前の雰囲気です。
20回大会ということで
にぎわっています。
というより、
大阪マラソンの影響か
はやっているのでしょうね。

何が嬉しくて
走るのかなあ。
自分でもよくわからないけど、、

とにもかくにも、
結果は、
46分8秒ということでした。

しかし、しんどかった。
この速度でマラソン走ると、
194分ぐらい。3時間14分ぐらいでしょ。
はっきりいって、無理ですわ。
このあたりが、動物として見た時、
私の限界ですわね。
去年が55分30秒ぐらいだったから
進歩ですね。

前日フィットネス行って、
10kmぐらいやから、練習してもいいかなと
思って、マシンの上30分間、斜度7.5%で走って、
サイクリングの機械、負荷最大で15分。
なんとなく、水泳も20分もした。

大会当日は、体が重くて、
周りのハイペースにつられて、
3kmまで走ったところで、
今日は、もうあかんわ。と思った。
重くて、重くて、体が動かなかった。

またしても、時計もしないで、
走っているので、速いのか遅いのかもわからず、
でも、気力の訓練にはなりますわ。
でも、いまさら、気力を鍛えてもしょうがないのだけどなあ。
一緒に参加したスタッフも家内も、好成績でよかった。
なによりも怪我がなかったのはよかったですわ。

マラソンの前日に聞いた 
辻原登の講演(医師会文化講演会)
マラソンの前日に見た
NHKの正月の録画したETV特集 暗黒のかなたの光明 梅棹忠夫のみた未来 
という番組

どちらも、勉強になった。
このあたりを今週つらつらと書きたいな。

そうそう、マラソンのあとに、
かつて、中華料理屋で、
今、ラーメンで、ブレイクしている華燕にいきました。
それは、明日にでも。

大阪谷町 銅座公園のお店2つ そばきり 蔦谷 と カフェ ネスト

上町1丁目に至ると大阪国立病院があるわけですが、
もちろん有名な大村益次郎の殉職碑もあります。
その付近に
銅座公園があります。
今日はそばやへ行く予定

銅座は江戸時代、どの取引や鋳造したところ、、

銅座公園は、単純にいうと銅製の通貨を作っていたところのあとだそうです。
もう少し、調べると、
大阪では大坂での銅の鋳造は大坂銅吹屋において行われていたが、その取引管理のため、
1701年(元禄14年)に銀座の加役として銅座が設けられた。銅座役所は大坂高麗橋東一丁目両替町の大坂銀座に設けられた[1]。1712年(正徳2年)に一度廃止された。
1738年(元文3年)に両替町に再度銅座が設けられ、地売銅(国内向け銅)も管理の対象とした。1750年(寛延3年)に経営不振を理由として再度廃止された。
1766年(明和3年)に北浜に三度銅座が設けられた。
こうしてみると、正式な銅座は両替町と北浜ということになる。
ちなみに、この大阪北浜の銅座にいた人に有名人がいる。
大田南畝 - 1801年(享和元年)より約1年間大坂銅座詰を務めた。
この大坂在住時から「蜀山人」の号を使い始めたようだ。
号の由来は、銅の異名を「蜀山居士」と言ったことからだそうだ。
大坂滞在中、物産学者・木村蒹葭堂や国学者・上田秋成らと交流する。
このおっさん、自分の著書に瓊浦又綴(けいほゆうてつ)(1804年)というのがあり、
そこに、コーヒーを飲んだ体験が書かれており、
日本でもっとも初期の頃のコーヒー飲用記だそうだ。

すっかり、横道をそれたが
今は昔2011年1月17日火曜日
この銅座公園の向かいにミシュランのひとつ星、、
そば部門(そば部門は異論もある人が多いというが)
そばきり 蔦谷がある。
鯖寿司。おいしいが、これは、もう少し、ねかせたいところ。
隣の人の出汁巻きもおいしいそう。
もりそば2枚。しっかりとしたそばで、おいしい。
つみれ芋、そぼろそば
山椒をくわえて。こちらは、蕎麦が太い。
この日、向かいに座った男性。お椀をもたずに、ずるずると
鴨そばを食べる。これは、少し、格好が悪いなあ。
建物は古き良き昭和のたたずまい。
いい雰囲気ですね。。
おトイレ

蕎麦のあと、2軒どなりの
カフェ ネストでケーキを、、、
苺のショートケーキと黒蜜

へーゼルナッツとチョコのタルト
この日は珍しく、、昔はよく飲んだコーヒー
まったりできる喫茶ですね。
そういや、最近、このよこの
かむなびも行ってないな。
もりそばのそば 
今日は10km走っているはずです。
高槻国際ハーフマラソンです。
そばと喫茶に行く前に
ジュースを買ったけど いまいち
プロフィール

瑞祥

Author:瑞祥
FC2ブログへようこそ!

カレンダー
12 | 2012/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR