歌川国芳 規格外の絵 と 大阪大津波
歌川国芳さんの展覧会
このひとは1797年-1861年
本当に、幕末の浮世絵画家です。
没後150年ということ。
没後で考えると人のスパンをはかりにくい。
生誕でいうと210年ぐらいですよね。
30台のころが1830年代ごろ天保の大飢饉、蛮社の獄(1839)、大塩平八郎の乱(1837)など
天満にありますよ。。こんなものが、、
浮世絵というより、グラフィックデザイナーという感じでしょうか。
ダイナミック
僕は猫は嫌い
ナポレオンの馬のような馬

滑稽、ユーモア、ガリバー旅行記のような

スターウオーズにでてきそうな顔をした魚たち
個性的な絵の数々でした。
展覧会は人も多かったけど。
同時代の少し後の人
坂本竜馬1836-1867
徳川慶喜1837-1913
同じ時代ぐらいの人
徳川斉昭1800-1860
水野忠邦1794-1851
島津斉彬1809-1851
ジュゼッペ・アルチンボルド1527-1593 イタリアミラノの画家
の絵なんかもみたのだろうかね。。


うわさのスカイツリー
歌川国芳の「東都三ツ股の図」。天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれている。絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような細長い構造物が二つ見える。左側の低い方は当時存在した火の見櫓(やぐら)とされ、その右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという
1854年に大阪でも大津波が起こったことがあるそうです。
船が道頓堀におしよせたとか。。
上町のほうへ避難したとか。。
http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html
嘉永七年(一八五四年)六月十四日午前零時ごろに大きな地震が発生した。
大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら四、五日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。
同年十一月四日午前八時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の五日午後四時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで約一・四メートルの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。とか、、、、、、
このひとは1797年-1861年
本当に、幕末の浮世絵画家です。
没後150年ということ。
没後で考えると人のスパンをはかりにくい。
生誕でいうと210年ぐらいですよね。
30台のころが1830年代ごろ天保の大飢饉、蛮社の獄(1839)、大塩平八郎の乱(1837)など
天満にありますよ。。こんなものが、、

浮世絵というより、グラフィックデザイナーという感じでしょうか。
ダイナミック

僕は猫は嫌い

ナポレオンの馬のような馬


滑稽、ユーモア、ガリバー旅行記のような

スターウオーズにでてきそうな顔をした魚たち

個性的な絵の数々でした。
展覧会は人も多かったけど。
同時代の少し後の人
坂本竜馬1836-1867
徳川慶喜1837-1913
同じ時代ぐらいの人
徳川斉昭1800-1860
水野忠邦1794-1851
島津斉彬1809-1851
ジュゼッペ・アルチンボルド1527-1593 イタリアミラノの画家
の絵なんかもみたのだろうかね。。



うわさのスカイツリー
歌川国芳の「東都三ツ股の図」。天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれている。絵の左奥は対岸の江戸・深川辺りで、他の建物を圧するような細長い構造物が二つ見える。左側の低い方は当時存在した火の見櫓(やぐら)とされ、その右の巨大な組み立て式の塔は実在しなかったという

1854年に大阪でも大津波が起こったことがあるそうです。
船が道頓堀におしよせたとか。。
上町のほうへ避難したとか。。
http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html
嘉永七年(一八五四年)六月十四日午前零時ごろに大きな地震が発生した。
大阪の町の人々は驚き、川のほとりにたたずみ、余震を恐れながら四、五日の間、不安な夜を明かした。この地震で三重や奈良では死者が数多く出た。
同年十一月四日午前八時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。
地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の五日午後四時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。
安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで約一・四メートルの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。とか、、、、、、
