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西安料理 朋友雑穀食府-阿倍仲麻呂も食べたのかな-

今は昔 2011年1月29日の2元目のお話
ふらっと、お腹を少しふくらしに、夜に行きました。
島之内にある中国、西安料理 朋友雑穀食府(パンコウ ざってくしょくふ)というお店
西安料理というのは初めてだったのですが、
西安といえば、長安のことなわけで、いわば、昔の都なわけで、日本でいうと京都みたいなものでしょう。 
しかし、成り立ちは閉じた町 京都 と 開かれた街 長安では少し違った文化の残し方をしたようですね。
長安は周、秦、漢、隋、唐などが都としていて、シルクーロードの起点であり、東西交易の場だったわけですね。
そういう意味では、中央アジアやイスラムの文化と中国の時代時代の影響をうけた料理なのでしょうね。
今回は、沢山食べたわけでないので、西安料理の真髄には触れてないので、謎のままです。

最初に、我々が食べたのは腰帯麺です。腰の帯のように太く長い麺という意味なんでしょうね。平たい麺でループになっているのか、ひたすら、長いです。味はチャーシューがのっていて、うどんのようなラーメンのような感じです。
次に、羊肉泡馍です。麺のちぎったもの( “モー”という小麦粉を練って焼いた回族が好む独特のパンを指すようです。)と羊肉の半薫製と、とろみがかかったスープ、春雨が麺の丼にはいっています。好みで「辣椒醤」という辛い味噌を加え、付けあわせとして、香味野菜とにんにくの甘煮と一緒に食べるようです。イスラムの代表的な料理の影響をうけた西安料理のひとつのようです。
最後に鶏肉団子の甘酢あんかけ。こちらは、甘すぎず、酸味が強いわけでもなく、旨みがあるというより、東南アジアで食べる風味(パクチーによるものだけではないと思う。)の感じる味です。
メニューや店内のところどころに、“本店粉料理全て手打つ“と書いてあります。
要するに手打ち麺ということでしょうかね。
場所柄、異国情緒のあるところですから、本場の中国料理の店に入ったという印象のお店でした。

唐の玄宗皇帝に使えた阿倍仲麻呂(698年―770年)もこの腰帯麺、羊肉泡馍も食べたのでしょうかね。「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」は百人一首でも有名。753年の帰国の宴席で日本語で歌ったとか。。。このとき、腰帯麺や羊肉泡馍はあったのかな。ご存知のように帰国できなかったわけですが、、






唐菜房 大元 -舌で中国一周しましょうか-

今は昔    2011年1月26日の1元めの話  飛込みで男3人で中華に

中華料理のレポートははじめてですね。
西天満の老松にある唐菜房 大元です。
老松というからには、古い松があったのかな。。
2010年6月  現在のオーナー 国安英二さんが継がれたそうです。
1937(昭和12)年創業だそうです。現在のオーナーは4代目だそう。
白いモダンな建物、誰もが、とても中華料理屋さんには見えないと
皆さんは言うのでしょうね。
逆に紹興酒の樽の白いイメージとよくマッチしているともいえます。
席はカウンター8席ほどかな。イスは6席分かな。
オープンキッチンスタイルです。中も無機質なつくりです。
だが、なぜか、中華料理の雰囲気はあるのですね。なんでですかね。

今日は本当に飛込みだったので
コースでなく アラカルトをいただきました。 予約しておけばコースもあるそうです。
チンタオビール一杯飲んで、あとはお茶(高山烏龍茶と武夷水仙茶)をいただきました。

四川名菜 よだれ鶏(1000)
これはなんでしょう。表現のしにくい美味しさですね。鶏肉も美味しい。かかっているこういうときは中華の場合はなんていうのかソースというのか、まったり、ピリッと、あまーい感じで、日本人好みの味だと思います。極めて美味しいです。

マコモ茸の暖かい前菜 干し貝柱風味(1200)
僕は知らなかったので、マコモダケ調べました。『マコモダケ』は、池や沼などに茂生するイネ科の水生植物「マコモ」の花芽に黒穂菌が寄生し、根元が筍状に肥大したものです。2メートル以上に伸びた草丈の根元の直径が3~5センチに肥大した部分を食用とします。原産地は中国~東南アジア、その歴史は古く、お釈迦様がその葉でムシロを編み、その上に病人を寝かせて治療したという伝説が残っています。また、日本最古の書物「古事記」「日本書紀」、歌集「万葉集」にも記載されており、出雲大社や氷川神社などの神事で使われる霊草としても有名です。ということです。
食べている間、茸と書いてあるのに食べていたらいわゆる茸類のかさの部分にあたるところがなかったので、この茸は傘の部分は食べない茸なのかと思っいましたが、要するに肥大化した茎のようなところを食べているということですね。味はあまりないのかな。貝類などと一緒に料理するのかな。和食、洋食でも使えそうなものです。今回の料理は貝柱の風味と茸の食感を楽しむ料理でしょうかね。

ナスの衣揚げ 香港サンパンスタイルで(1200)
サンパンは港や川で低速で走る輸送目的の船のこと。水上タクシーや船上レストランにも使用されている。サンパンスタイルはそういう船上生活風やレストラン風ということでしょうかね。いわゆる川べりの屋台での揚げ物を食べるような豪快な料理ということでしょう。ややエスニックアンド香ばしい旨みも感じる味でした。


広東風 プチトマトいりシュウマイ(800)
シュウマイの中にトマト。これははじめて食べる味でした。熱い肉汁のつまったところに、噛んだあと、トマトの酸味が合わさる感じ。不思議なシュウマイです。


バナメイ海老と彩り野菜の香港下町風(1000)
香港の下町が今はどのようなのかは知らないけど、20年前にいったときは香港もそんなに、洗練されてないアジアの一都市的なかんじなので、料理とイメージが僕の中では分からなかったのですが、香港風の調理方法なのかな。クリーミー名の一品でした。それとも香港の下町はクリーミーなまったりした雰囲気なのか?

若鶏とピクルスの湖南風煮混(1280)
湖南地方の料理は食べたことないのでわからにのですが、酸味と唐辛子のきいた味わい深いの料理。でも、さっぱりしていました。僕は好みです。


豚フィレ肉の北京風甘酢ソース(1800)
この甘酢も最初の料理のソースような複雑な味なのかなと思いましたが、以外とくせのない甘酢の味でした。食べやすいです。

麻婆豆腐
普通のと青胡椒と何もかけないと3種類楽しめます。こちらの料理が最初の料理のソースを踏襲したイメージの料理で、美味しかったです。

やっぱり、頭から汗が、、それなりにきいてきているのね。
がつっとした中華も大好きなのですが、最近は胃がついていかない。
野菜中心の中華が増えましたね。また、いくつかレポートしますが、
野菜中心でも、食べているときは感じないですが、翌日意外と胃がもたれるお店と
意外なほど胃がもたれない店があります。。自分の体の調子もあるのでしょうが、、、
ここは食べているときも、食べ終わってからも、胃のもたれもなく美味しくいただきましたよ。
カードも金色ベースに黒と赤の文字 大好きですわ。


しかし、よくよく考えると、
イタリアンのときも書いたののですが、
本当に中華料理もここ30年の間にバリエーションが増えたというか。
昔は北京料理とかいって、円卓でボーリング場とかの横にあるようなお店で
海老フライと酢豚とか八宝菜とか、、
あとの中華といえば、街の旨み調味料たっぷりの小さい中華料理
か王将というイメージですよね。
僕が大学生になる頃かな、海皇(ハイファン)で鯛ドーンにナッツあえたような料理食べた。
へーこんな中華もあるのだなと衝撃でしたね。
そのあとのグルメブームなんかで変化したのでしょうが、
大学生の頃は逆に、中華なんかそうはいかないものね。
王将が実は苦手だったので、大学生の頃は食べた記憶がないですわ。
時を経て2000年頃に、京都に戻ったとき、
木屋町二条の“一之舟入”で町屋という目新しさだけでない中華にふれて、
新しい中華料理だと思った覚えがあります。
それ以降、四川風、北京風、上海風、湖南風、成都風、広東風などの古来の中華のバリエーション
と多様な食材と、中華に限らない、フレンチ、和をとりいれた多様な方法で料理する店が増えましたね。



でも、大元は、ここだけで、舌で中国一周できるようなお店です。

唐菜房 大元
http://r.tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27051328/dtlrvwlst/1976976/4979536/
大阪府大阪市北区西天満4丁目5-4
06-6361-8882


せっかくなので、
先ほどでた一之舟入ですが、高瀬川の舟入場の基点です。
角倉了以(1554-1614)戦国時代の豪商です。なんとなく江戸時代ぽい
イメージの人ですが、この人朱印船貿易でベトナム(安南国)と交易
をして、もうけたお金で、高瀬川の開削をして、京都と大阪の交通路を整備した人として知られています。
このひとも、単に、お金を儲けたお金を社会に還元したという企業家というだけでなく、
きっと、土木工事の技術的な側面、科学的な知識もあった理系の人でもあったのでしょう。


祇園 大渡 1-京都で勢いがある店といえばここです。伝統とモダンさと-

京の町は桓武天皇の794年の遷都以来の歴史がつまっている。
その空間は約1300年間、位置を変えているわけではないから、
いわゆる歴史上の人物も、その京の町の小さな空間に
たしかに、別の時間に存在していたはずだ。

桓武天皇は794年ごろにこの地に来るため、長岡京からどこかで桂川を渡ったのだろう。
藤原道真は京から宇治に向かう時、確かにどこかの道を牛車に乗って移動した。
藤原定家は京の自分の屋敷で歌を詠み、歌を撰んだ。
平清盛は六波羅探題のあった小学校あとで政務を執ったとのだろう。
義満も一休は金閣寺、大覚寺あたりにいたことは確かだし、
信長は馬ぞろえのとき、下京の本能寺から室町通を北進し、一条を曲がり馬場に入場している。その後、(現在の本能寺ではない)本能寺で死を迎える。
秀吉は今は西陣のハローワークあたりに石碑しかない聚楽第のあと地あたりで、その時代政務がとられた。周囲には「如水町」「小寺町」「浮田町」「飛弾殿町」「田村備前町」「福島町」「中書町」「直家町」など秀吉麾下(きか)の武将の名を冠した地名も多く見られる。その武将たちもそのあたりをうろついたのだろう。
江戸時代は政務は江戸にうつっても、御所には天皇がいた。
竜馬、新撰組、維新の偉人たちも京の細い路地を人を切ったり、逃げ回ったりした。


あなたは、このような楽しみをしたことはないだろうか?
私は、京の町を歩くとき、歩みを深めるとともに、自ら、頭中の時間のねじをまいて、
行きたい時代を意識して歩く楽しみがある。軽いタイムスリップ気分を味わうのだ。 
特に、料理屋さんに行くときは楽しい。
初めての店は店の雰囲気や店主の雰囲気がわからないときは難しいけれど、
京は和食だし、大将は江戸の雰囲気だとか、平安の時代の雰囲気だとか、、
そういう意味では京都の料理屋は、タクシーで乗り付けずに
その店の前まで歩いていきたいものです。 

今は昔 2011年1月22日の四のお膳のお話

案内する店は 大渡です。身内の早めの誕生日をかねて、家族で訪ねました。
河原町の阪急はなくなってしまった。寂しい思いもあるが、
幾多の人が待ち合わせにしたそのビルの前で集合。
(このあたりに、竜馬が買いにやらせたしゃも屋はあったらしいからね。)
河原町から東にむかって四条大橋をわたる。
四条大橋は横をさえぎるものはないので、冬の京都では風が通るので、
顔の感ずる温度は下がる。
南座をぬけて、さらに東へすすむと、
花見小路に交わり、その通りを南に下る。
小さな通りをうろうろとし、
保元の乱で有名な崇徳天皇陵の碑から東に緩やかな坂を上ると
ほんのりと暖かいあかりの町屋がひとつ。
今日は、平安時代から武士が勃興している頃に戻るかなと思いましょう。


扉をあけて、まず目につくのは、一生懸命の文字(御贔屓さんにかてもらった文字とか、長いまっすぐの棒は、すりこぎを模したものとのこと)。
カウンターは8席ほどお店です。では大渡の料理を堪能しましょう。
 

先付 うるい、ウニ、エビ、かずのこ、くわい、くろまめ 甘草のジュレ  
正月の雰囲気を味わいましょう。ひとつひとつが繊細な味付けです。

お雑煮 花びらもち ごぼう、わがらし
もうひとつお正月らしく、お雑煮です。 花びら餅はごぼうと餅と白味噌餡をつつんだ和菓子とか平安時代の新年行事の(歯固めの儀式、長寿を願う)を簡略化したもので、宮中のおせちとか。
それを、お雑煮にいれた一品で。和食の古いしきたりを感じさせるものです。

椀物 くもこのたまごじめ ピスタチオ
一転して、たんに、くもこにたまご締めしただけでなく、ピスタチオをいれたもの。緑が薄い黄色の中で映えるとともに、食感もおもしろい。かぼちゃの種を入れる人も多いけど、ここで洋もののナッツを使用するところが、一転してモダンです。いつも、どこかに、とっても洋食を感じさせるものをおりまぜてくれますよ。


飯椀 きのめ、ごはん、このわた
このわたのねっとりしたおしいさと、きのめのさっぱりがマッチして、橋休めのような一品です。おいしい。


吸い物 かにしんじょ、からすみ(つゆうち)
いつも、お吸い物は、セットが終わると露うちをされるんですよ。これがまた、一興です。
露うちは、お茶懐石の乾きをきらうためとも、お吸い物のふたがはずされていないことを示すものとも。。。あーかにしんじょうはこれでもかという蟹の量です。からすみもすこし、水気のあるお吸い物のほうが歯ざわりはよくなりますね。

向付 あまだい
昆布締めしてあるのかな。まったりした感じでした。

鍋物 あいがも、きにら、さんしょ、あげたふ、九条ネギ(やながわ鍋風)
きにらはこういった鍋物には絶品です。以前岡山にいた頃はよくこういう形ででてきました。最近、関西でも見かけますね。。


この間に生きた伊勢海老登場。 ライブ感あるよ。子どもも喜んでます。

鉢魚 ほんもろこ(炭焼き)
琵琶湖にいる本もろこ、外来魚に押されて減っているといいますが、なかなか美味しいですね。

煮物 いせえびの酒粕煮
とすると単調なお味になる伊勢海老も酒粕と煮るとぐっと旨みがまします。

香の物、釜で炊いた佐渡の白米
水物 わらびもち

抹茶

おひとりで、接客から何から何まで、大忙しなのですが、たんたんと仕事されます。
ほとんど、足を上げずにすすすとあるかれます。
スターウオーズのR2D2の前進歩行と同じです。

いつもご馳走様。
オープンして間もない2009年12月13日  2010年8月21日 2010年10月28日から4回目ですが、いつも楽しませてくれます。3月にはお手伝いさんが入るようです。でも、予約簡単にとれなくなったよ。。。

祇園 大渡
京都府京都市東山区祇園町南側570-265
075-551-5252

大渡の近所の天皇陵のある崇徳天皇(1119~1164)というのはなんともいえない天皇です。
保元の乱で有名です。出生のうわさといわゆる院政と天皇継承問題と周りの官僚や武士が巻き込まれ、長く続いた平安時代の終焉となる事件です。彼は、敗者で、最終的には讃岐に流され、暗殺されたとも言われています。いまの天皇陵に正式にまつられるのは明治天皇によるものです。
そんな彼の歌った百人一首の歌。
瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ(崇徳院)
滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐにまた一つになるので、現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれましょう。

下の写真は2011年8月11日 青森県の奥入瀬渓流での写真(場所は違うけどこんなイメージかな。)

高槻国際ハーフマラソンととり粂(茨木)と高山右近

高槻国際ハーフマラソンととり粂(茨木)と高山右近

走る姿、、何を思い浮かべかすか。?
わたしの場合、太陽にほえろで、若い刑事が犯人を追いかけるシーンが浮かびます。
マカロニ、ジーパン、テキサス、スコッチ、ボンなど、、、
大野克夫 井上隆之のバンドの音楽をバックに流れて、、
というのが、私たち世代でしょうか。?

それとは、無関係に、ランニング、ジョギング、マラソンと、
ただ走るスポーツがある。
何が楽しいのか?といつも思っていた。
走る人に聞くと、いわゆるランナーズハイの気分があるという。
この感覚はわたしには感じたことがない。

じゃあ、なぜ、時々走るのか?
理由は主に二つ。
美味しい食事を太らずにしたいという目的と
寒い中、ゴルフの練習やゴルフに行っても
楽しくないので、いっそ、冬はゴルフのために体力づくりのためにと思い。
ちょっと走り始めた。
ただ、走るのも楽しくないからと思い、イベントっぽいレースに参加している。

今は昔
2011年1月23日のことです。 
高槻国際ハーフマラソンが開催されたので、10kmに出場。
コースはせまく、人が多い。アップダウンはそれほどでもないが、
淀川の土手と市街路とを結ぶところにやや急峻な高低差がある。
市街路が多いので、風の影響はほとんどない。

この日は、いつもより、足が重く、なかなか前に進まなかった。
完走後、ふくらはぎより大腿四頭筋と下腿の前脛筋にはりがあり、
いつも痛くない腰が張っていた。また、前腕から肩にも張りがあり、
なんとなくだが、しっかり、足をあげて走れていなかった印象。
体幹軸もぶれて、前傾が強かったのではないかと勝手に思っている。

タイムはいつも同様10km 1時間切るぐらいでと思っているので、
まあまあかな。50分きりたいけれど、そのためには、もう少し
練習がいるかなあ。

これまでの公式記録 順位は年齢別(40歳代とか、、、?)
2010年2月28日 琵琶湖レイクサイドマラソン2010  12.5km  1時間7分52秒 (100/188)
2010年11月28日 すいた万博国際ふれあいマラソン2010  10km 54分39秒 (124/208)
2011年1月23日 19回(2011)高槻シティー国際ハーフマラソン 10km 55分25秒(271/589)

2010年12月5日 奈良マラソン 42.195km  5時間5分
(マラソンは正直完走できると思っていなかったので、またこれだけでお話します。)


しかし、健康のためにはじめたランニングもスポーツも
逆に故障の原因になる場合もある。
プロ野球の工藤や金本の年齢の限界をこえてするには
かなりの体力づくりがされているという。
40歳をこえると、そのあたりも考えて運動に取り組まないと
だめなのでしょうね。

そのの日の昼ご飯で行ったのは、茨木の商店街にあるとり粂のお店
ステーキ、焼肉 とり粂(割烹 片桐)です。
片桐は茨木城の城主の片桐且元からとったのかな。
今日食べたのはビフカツ定食。
だいたい、昼も夜も1000円ほどの各種ランチや定食があって、
家族などでは、ゆっくりできておすすめです。

牛肉と高槻は大きなからみの話があるんです。
豊臣秀吉が北条攻め(小田原攻め)の時、長陣だったので、
蒲生氏郷と細川忠興が高山右近の陣を訪れた時、右近は
牛肉を焼いて食していたということ。
いまでいうところの焼肉かすき焼きではないかといわれている。
天武天皇が牛・馬・猿・鶏・犬の食肉禁止令を出してから、
いわゆる上流階級ではこれらの肉は忌避されていたようですが、

高山右近はキリシタン大名でキシリタンと付き合い深く、
おそらく、高槻の城主の頃から食べていたのではないのかなあ。
彼は、ポルトガル語も理解し、城を作るのも上手だったといいますから、
キリシタンからキリスト教だけでなく、科学全般を学び理解していたのだと思います。
茶道(利休七哲んおひとり)にも通じ、いわゆる、天才だったのでしょうね。
この人、おもろい人で、個人的には大好きな武将なのです。
最後はマニラで亡くなっているのです。

片桐(とり粂)
茨木市元町6-3  
072-626-2722




松弥 1-至福の4次元料理―

今は昔 2011年1月21日金曜日の参のお膳のお話

すごく当たり前のことを書くのですが、
料理を美味しいと感じるのは
かなりの主観によるところが多数ある。というかほとんどの要素かもしれない。
したがって、美味しいとかうまいというのは、
“自分の味の好みにあっているわ”というのが、正しい表現なのでしょう。
そうはいっても、おそらく、9割がたの人が美味しい(味が合う)と感じられるような
料理方法が料理人のおなかで、伝授されて行くのであろう。
(そして、その美味しい理由は現代では科学的にも証明可能なのだろう)

しかし、日本人の味に対する趣向も
時代の影響に曝され変化すると、
当たり前に行われていた料理方法が忘れ去られたり、
古い書物でみるしかなかったりすることもあるのだろう。

さらに、美味しいと感じるには、
もちろん、味が好みに合致することも重要なのですが、
料理する人と波長が合って、(あわせてくれているのでしょうが、、、)
共鳴したりする空間があると
わずか2時間とか3時間の料理をいただいている時間で、
さらに共鳴し、至福の時間を味わえることがある。
より、美味しく感じることが4次元的に展開されるわけです。
(もちろん、この共鳴する波長も人によって違うのでしょう。)

今日はそのような意味では、これ以上のところはないだろうと
僕は思っているお店を紹介しましょう。
中井和弥さんのお店で松弥といいます。

時は元禄、いまから333年前。
上六の新歌舞伎座の前で仕事帰りのおっさん2人。
行きつけの西天満にある酒屋(今で言うところのバー)の大将(マスター)がおしえてくれたのだけど、
今日行くお店はねえ。ちょっと、今までのお店と違うよ。
おなか一杯食べたのに、どんどん食欲がわいてくる店や。
それは謎賭けか?
いや、今日、ご馳走になったら分かると思うで。
ほー、その店はどの辺りにあるのだい。
西天満知っているかい。かの亜米利加の出張の館があるところだよ。
も少し、くわしく知りたいね。
場所は西天満奉行所の北のあたりだね。
今や、仏蘭西の味酒覧(ミシュラン)という味、酒の一覧に星ひとつでのってしまってねえ。
井原西鶴も松尾芭蕉も行ったらしいで、、、なんて、気分でお店に
参りましょう。ところが、店に名前が、、ない。。。あわてるなかれ。。。松弥です。
がらっとひらくと、そこは6,7人だけが座れる。大将と差し向かいの特別の空間です。


1.むしあわび、大根、ゆず あわびは夏が旬なのでしょうが、縁起物で1月はどこも出してくれる。あわびの状態は今年はあまりよくないなあと一言。海草の状態が左右するのかなあ。と。
2.ふぐ(てっさ、てっぴ)焚きこんだ骨からなどからのにこごりをあえたもの  文字通り、食感のあるものと食感のやわらかなもの、温かいものと冷えたものというコントラストを口の中で味わえる一品。ピントあってないのでなし。
3.あんきも、くわいのからあげ、サーモンと蓮根に黄身酢、えびの頭の焼いたもの、海老の身にこのわたをあえたもの、丹波牛もも(まるしん)(炭焼きしてあかみそにつけて1週間それからさらにねかせたもの) なまこ(ほうじ茶で80度 10秒くぐらせて、ポン酢に) ここは、酒の肴ですなあ。どれも、おいしくて、もっとおかわりしたい。酒がすすんみます。 なかでも、なまこ、丹波牛は絶品です。くちが、、次の食材を呼びます。
4.ひらめ、えんがわ、きも  も少し、おきたいなあといいながら、、肝は調理方法の妙なんです。美味しい!
5.ふぐ白子の炭で焼いたものをお持ちに見立てた白味噌雑煮(天満の味噌、海老からの出汁)この白味噌がまた美味しくて、餅に見立てられた白子が、あー口の中で、溶けると同時に香ばしさが広がってきてー。白子やはりうまいなあ。もう、おいしさにギブアップ。
6.焼いたかに身、からすみ、かぶら  焼きがに大好きです。憎いけど、ここは蟹料理屋ではないので、いろいろな形で楽しませてくれます。食感ののこるぐらいの大きさのからすみと合わせると、、、、あーー。

7.かにみそ、蟹身を炊いたものをねかせて、蟹身をしゃぶしゃぶとくぐらせたものと一緒に  これも、蟹身を付け合せるものは、いろいろあるのですが、これは、なかなかお店でないとできない一品です
8.のどぐろごはんにいれていたのどぐろのあたまたち これは次にでてくろのどぐろご飯の頭なのですが、これが、捨てるのには考えられない。のどぐろの味がごはんにしみるように、ご飯の香りがのどぐろに移って、これまた、酒一杯。9.ゆば、豆乳  あーやっと、口を休ませてくれるのね。。
10.のどぐろ、からすみ、ごはん、  ごめん。うますぎです。からすみのアクセントもきくのね。おかわりしたいのに、させてくれません。あとでお茶づけと
11.さきほどの蟹みそ、蟹身をたいたものに蟹身をいれたもの あーまた、口が食を欲している。
12.さきほどののどぐろごはんをお茶づけで、、と。あーこれもおいしい。
13.くろまめぜんざい、いちご、抹茶、もち 最後は正月らしく、黒豆で、、

去年の7月14日、にはじめてうかがって、あまりにおいしくてぶったまげて、たてつづけに8月3日におじゃました。その後、9月29日にもご馳走になって、年末忙しくていけなかったのですが、久方ぶりにご馳走になりました。

大将、いつも、お馬鹿なわたしたちに真剣に付き合ってくださって、ありがとう。
今後の店のスタイルも定まったとのこと。きっと、なかなか、取れないかもしれないです。
ここは、一度5,6人の普段なかのよい友人で、思いっきり料理を楽しみにいってほしいお店です。
空間、時間と4次元的に楽しめ、鱈腹食べて、
お腹は一杯なのに、お口はもっと食べたい。という意味が分かると思います。
大将に、この店の縁の話や料理の話、みんな直接聞いて楽しんでください。
今日いただいた 蟹さんです。
(飯田さんとスカイライン話のときの写真をさしかえて、下手な絵を付け加えてみました。)

http://www.kateigaho.com/recommend/report/osaka/20100809_321.html
大阪市北区西天満4-2-7 昭栄ビル北館1階
06-6367-0570 
松弥


スカイライン ジャパン-思い出の車-

スカイラインの開発をされていた桜井真一郎(さくらい・しんいちろう)氏が2011年1月17日、心不全のため死去した。という訃報を聞いた。スカイラインの父と呼ばれ 1代目から7代目の開発されたという方です。車が好きな男の子は聞いた事があるはず。

なぜ 今日の話はスカイラインかというと

スカイライン
5代目スカイライン 通称ジャパン
そのターボが僕にとっては、はじめての車だった。
車体は白
ヘッドライトは2灯の角型のライト
車体全体の雰囲気は、前方から後方にかけて直線的であり、 
車体横の黒いライン(黒車体のものは金色)がドアの後方まで切り上げるようにはいり、
2ドアの後方から車体の後ろに車体に三角面のきりあがり、凹面のフォルムを形作っていている。
テールランプは4つの2重マルです。
前方のバンパーには逆文字のTURBO(前の車からターボと読めるわけですね)
サイド下には2000GT TURBOのステッカー
僕の車はサンルーフが付いていた。


白いスカイラインの写真がなかったのでミニカーの写真

5代目スカイラインの2000GTES ターボは1980年4月から1981年8月のニューマンスカイラインまで2000GTESターボが作られた。(5代目自体は1977年から作られている。)5代目は、初代からほどなく採用されていた4灯丸型から角型への変更。それは6代目鉄仮面以降にもしばらく続いていく。角型のライトは70年代から80年代に切り替わっていく流行の一つのような気もします。さらに、車体全体としては、この5代目までは、やや鈍重なイメージののこっています。重戦車のようにどことなく重たそうなイメージ。車重は実際は重くない。これ以降のスカイラインは流線型のフォルムが採用されていきます。おそらく、このイメージのチェンジも70年代の車から80年代へ変わっていく象徴のようなきもします。そういう意味では、70年代から80年代という時代における車のイメージ変遷の過渡期を象徴する車かもしれない。

黒いスカイラインの写真(暴走族ぽいな。僕は白いのに乗ってました。)

 1986年の夏に、この白い5年落ちの中古のスカイラインが父親に買ってもらった僕の初めての車です。
 当時、同級生は中古車を買うときは5年落ち程度の車を購入するか。新車を買う子はソアラ、トレノ、レビン、プレリュード、CRXなど流線型をしだいにとりいれていわゆるかっこいい車、ジェミニ、シビックなどかわいい、色も派手な車、マーク2.クレスタというサルーン系の車など、選択肢が多様化している時代だった気がします。
 そういう意味では、なんだか自分の乗っている車は少し、ふるくさいな。という印象でした。大学1年のときでしたので、5年生、6年生の先輩は、いい車やなあとほめてくれたことを思い出します。(5,6年生からすると、先輩方が1年のとき売り出されたような車だったからでしょうね。) 外観はともかく、なかなか加速もよく、よく飛ばしましたね。直線は速かった。ただ、山道はしんどかった。6年間のりにのって、2万キロぐらいで買って、12万キロぐらい走りました。
ただ、6年間の間に、この車はしだいに、中古車として出回るようになると、改造車やいわゆる暴走族の車的なイメージが色濃くなってきたような気もします。まあ、道をよけてくれたりした良い面もあったし、山の中を族に追っかけられたりした思い出があります。また、古い話で申し訳ないですが、西部警察や特捜最前線などで覆面パトカーなどでもでていますので、いまでも、その勇姿をTVでみられますよ。それにしても両親に感謝です。


考えてみたら I love JAPANなんてキャッチコピーなんてかっこいいのかなあ。と若い人は思うでしょうが、
いまは、おみやげ物屋であまり、みることがないけれども、当時は
I love NY .I love LA .I love SFなんてTシャツが定番であった気がします。
CMはチューリップの「I love Japan」それにしてもベタですよね。
高校生や大学生が、ポパイやブルータスを片手に電車に乗って、
その本のタイトルはどうやって女をくどくかとか、今考えても恥ずかしいタイトル。
ジャンプなどの少年誌からわたせせいぞうがハートカクテルなんかが掲載されているかっこいいマンガの時代へと
なぜか、わからないけど、アメリカというか外国的なものに国民全体があこがれていた最後の時代ですね。

まあ、最近は、外国に若者が出ないとか。説教じみたことを
やたらと言っている大人もいますが、僕的には、気にするなといいたい。
今、外国で何を学ぶ?外国行かないと学べないことあるの?という気持ちも正直あるなあ。
また、いずれ書きますが、グローバルとか、、それがすべてではない気がするよ。

2009年4月29日友人の結婚式で門司に行った時の写真


僕の思い出になる車を世の中に出してくれた桜井さん、ご冥福をお祈りします。
また、19日に35歳で急逝した親戚のたくちゃん、ご冥福お祈りします。

La ballotta-雰囲気のある料理とシェフとシェフのタオル-

Una imawa ! Ora mukashi! Oggi e` il 18(diciotto) gennaio (今は昔、2011年1月18日の1リラのお話です。?)
ぼくは愛用のミニベロにまたがり、谷町ストラーダ(strada)を西に(L'ovest)松屋町ストラーダに向かって、ブレーキをかけることなく坂の勾配にまかせて下っていく。今年の冬は寒いので、坂を下る時の風は顔の肌を痛める。冷たいというより痛いという感覚が先行する。ぼくの母国イタリアでは、このような寒い風は吹かない。(ほんと?)日本でも、夏なら、心地よい風が顔の肌をつつむのにと思いながら、首に巻いたマフラーを口まであげて、深くかぶった帽子は耳をも隠すようにかぶる。坂をおりきって平坦な部分に至った。松屋町ストラーダは南向きの一方通行なのでキタから来る車を気にしながら、、赤信号をひっそりと駆け抜けていった。ほどなく、阪神高速道路の高架下の人どおりが少ない通りに出る。さすがに、夜ここを一人で通るのは、怖い感じだ。寒いのと怖いのとで、細い路地を抜けていくと、今日夕食をいただくことになっている店がある。La ballottaだ。店の名前は、仲間と楽しく、心地よく、過ごすとという意味だそうだ。僕も店に入って、早く仲間を待とう。

 なんとなくイタリア風に書こうと思ったけど無理があるのでやめま~す。ミニベロなんか乗ってないし、、だいたい、歩いていったし、、本当に寒かったもの。。イタリアも行ったことないし、、。[#IMAGE|S11#]

 このお店ですけど、2009年の4月ごろにはじめてうかがって、気に入って、時々ご馳走になっています。昔の記録をみたけど写真はとってなかったな。記録上は2009年の7月7日(七夕)と11月頃に行って、それ以来になっていたので久方ぶりの訪問となりました。店のカウンターの上の看板からアラカルトで4品ほど選ぶ形式です。

いただいたものは
コンフィ河内鴨とリコッタアッフミコート、レンズ豆のカンノンチーノ
さくっとしたパイの味と鴨とチーズがあわさり味わい深く、食感のよい一品です。カンノンチーノはこのようなパイにまいてあげたものをいうのかな? リコッタアフミカータは、伝統的なプーリアスタイルのリコッタを窯に入れ、2時間から3時間ほど燻製にしもの*「アフミカータ」とは燻製したと言う意味です。


イカスミのタリオリーニ、サフラン風味の方々とフィノッキオのサルサ
フェンネルの葉柄基部が肥大したものフィノッキオ(finocchio)と呼ぶみたい。野菜としてサラダなどに用いられるそうだ。地中海沿岸で栽培され古代エジプトやローマでも食されたそうです。フェンネルはウイキョウ(茴香)のことです。タリオリーニは平たい麺。しかしこの写真のピンとあってないわ。


丹波の猪のラザーニヤ
ラザーニヤは思い出があって、30年ほど前はラザーニヤなんて、どこにでもなかった気がする。それこそ、30年ほど前に高校生の頃、映画館の帰りに梅田あたりのイタリアンで食べてから一時期凝っていた。浪人しているころ、河原町通りに面して地下にもぐる喫茶店 たぶんジローっていったかな。。そこで、時々食べていたなあ。いつの頃からかラザーニヤもあまり食べなくなったなあ。でも、やっぱり、ラザーニヤは、おいしいね。私にはなんだか懐かしい味なんです。


イトヨリといろいろな貝(蠣、ハマグリ、あさりなど) 冬野菜の煮込み リボルノ風
イトヨリは薄い紅色のきれいな40cmほどの魚ですね。身離れもよく食べやすいし、おいしい魚ですね。旬は春から夏だそう。リボルノはイタリアの漁師街リボルノでトスカーナに属している。イタリアのブーツの前上方にある街のようだ。リボルノ風は港町らしく魚介類の豪快な料理の総称のことだそうです。


デザートは栗のアイスとコーヒー

最近は、イタリアンも種類が増えて、スマートなイタリアンとガッツリの郷土料理っぽいイタリアンがあります。しかし、スマートなイタリアン食べると、これならフレンチの方がよいなあ。と思い。ガッツリイタリアンを食べると、食後に自分の年齢を感じてしまうしなあ。このラバロッタは、その中間点のようなお店なので私は好きなのです。イタリアンにきたら、パスタがおいしくて、少しだけガッツリがいいですわ。このお店の魅力のひとつは、ハイカウンターと2テーブルで、オープン型で何よりも料理工程のライブ感が楽しめることです。そのライブが、意外と坦々と流れるのです。イケメンのシェフが手際よく料理を届けてくれるのです。きっと、トレードマークなんでしょうが、タオルを肩にかけて作るんですよ。うー、かっこいいなあ。タオル騎士みたいな(ハンカチ王子というのでないので)。星山さんって言うそうです。以前うかがったときは、サーブの男性とシェフの2人でしたが、今日は1人の助手さんと1人のサーブのかた、どちらも女性でした。男性のときは骨太な印象でしたが、今日は少し華やかな雰囲気でしたね。ショップカードも華やかな色にかわっていましたわ。前きたときはカウンターの下のかばんかけあったかなあ。。新しいショップカードです。淡い色がついてます。再現できてないわ。scansnapからPDFからJPEGにおこしてみたのですが、


また、パスタ気分の時うかがいますね。[#IMAGE|S29#]

La ballotta
http://www.la-ballotta.com/
http://r.tabelog.com/osaka/A2702/A270202/27004912
大阪府大阪市浪速区日本橋東1-1-9  06-6647-3371

シートン(探偵)動物記 柳広司 とシリーズ大自然の目撃者(NHK) シートン動物記

きまぐれブックレビューのお時間 1時間目です。

ジャンルにこだわる事なく、というかあまりこだわりがない性格なので、
乱読してきたのだけど。推理小説のたぐいはよく読んだ時期(小中学生頃)がある。
しかし、あの頃もっと、いい小説を読めば人生変わったかもしれない。
シャーロックホームズ、ルパンからはいりクリスティーのポアロやマープル、そして、
ポーやエラリークイーン、、、そしてアイザックアシモフへと、、
でも、いつしか、読まなくなった。

ミステリーの面白いところは推理のトリックもですが、時代背景の書き込み具合やその時代の習慣や風俗が書き込まれることが多く。読んでいる間はその世界へのタイムマシーンのような気分になる。
かえって、他の小説では、バックグラウンドより、当然、主題が重視されるので、バックグラウンドを書き込むと冗長な文章になる。
ただ、書くことがなくなった作家や、もともと能力の低い作家(林何某子など)は400字の原稿用紙1枚で十分な内容を、ぐだぐだと着飾ったデコレーション小説に仕上げる。(あー、いけない。悪口はやめよう)
しかし、逆説的な部分もあって、読んでいい小説は、背景のdetailと主題にこだわっており、読んでいるとその世界に引き込まれる。(村上何某などはとても引き込まれやすいデコレーション小説だわ。)

そういう意味では、ミステリーは比較的大きな主題もなく、頭を使わないでいいので、読書が、そう、ストレスではない。(特に、研究していた頃などは、頭を使って読まないといけないものがあるので、頭を使わないでいい小説は脳のエステのようなものだ。ただ、脳を使う小説も読まないといけないですよ~。)
また、ミステリーは短編でも設定が非日常で、detailにこだわって書いているので、軽い小旅行気分になれる。

今日は、最近読んだ本を紹介します。柳広司さんのシートン動物探偵記です。
シートン(探偵)動物記(2006年5月、光文社 / 2009年3月、光文社文庫) 収録作品:「カランポーの悪魔」「銀の星」「森の旗」「ウシ小屋密室とナマズのジョー」「ロイヤル・アナロスタン失踪事件」「三人の秘書官」「熊王ジャック」
物語の冒頭は、80歳ぐらいの老人の観察力が、若い新聞記者(語り手)の所作から、その人の生活背景を言い当てるという定型的な始まりです。その老人が実は何を隠そうアーネスト、トンプソン、シートンであるという設定。彼に対する観察力がいろいろな事件の解決に働き、その舞台設定が、シートン動物記の作品設定を背景にしているというものです。純粋にシートン動物記を読んでいる人は楽しめるし、遠い記憶の中で読んだことのある人は動物記をもう一度読んでみようと思います。読んだことがない人も、娯楽小説として楽しめますよ。シートン動物記を読みたくなるでしょう。ミステリーの全体としては、複雑なものはないので、本当のミステリー好きには不満でしょう。どうしても、パターン化されるので、全体としては単調なものですが、この手の小説は楽しめますね。正月のグアム旅行の飛行機で読みました。
ただ、この小説もですが、NHKのBSHiの年末から再放送していたシリーズ 大自然の目撃者 シートン動物記の世界(1) 「狼王ロボ」などのシリーズは別の面白さがありますよ。

私ははある時期、人類のため(おおげさすぎ、、やなあ。)とはいえ、動物の殺生を沢山したので、もう動物と触れ合うことはあきらめています。最近かわいかった動物は、2009年12月30日 おそらく20年ぶりに行ったときの長崎バイオパークの目のでっかいアルパカ

最後に動物つながりで、、ラベルがサイなんですよね。ワインの味の表現の仕方は良く知らないけど、昨年、ワイン持込でイタリアンとジビエとともにいただきました。(2010年11月29日)すごくまろやかなフルーツの味。酸味は感じることなく。味も香りも酸味のない旨みのあるイチゴに近いような、、、とにかくおいしかった。ヴァレイラーノ・バルバレスコ 2004:Vigneto Valeirano Barbaresco 品種はネッピーロ イタリアのワインにもこんなに美味しいのもあるのだと思ったワインです。

飯田(京都)-新星きらりと鰤(ぶり)-

飯田(京都)-新星きらりと鰤(ぶり)-

今は昔、2011年1月15日の弐の膳のお話。

昨年、京都の別のお店大渡さんからどこか良いとこないですか。?と3店教えていただき、なら正月すぎにとそのうちの1店を予約していました。(大渡さんもまた別の機会に報告しないとね。)飯田さんです。お写真はだめなので、今日は写真なしです。まあ、どっちにしろ、ピンボケ携帯写真ばかりなので(ある意味、料理写真とるのもなあ。なんて思ったりしているので、これもよし。)
36歳のすこし、シャイな表情のイケメンの大将飯田真一さんとそつのないサービスで着物も似合う明るい女将さんです。名前は聞いてなかったなあ。(料理が楽しくいただける雰囲気があります。この2人きっと、もっと成長すると思います。)埼玉出身で、中学生のころから料理人になると決めていたそうで、金沢、京都と修行されて、2010年7月にオープンされたということ、お店は茶道具屋のあとの昭和初期の建物です。暖簾をくぐってお店に入ると床の間に大きな鯛の焼き物、5人ほど座れるカウンターで、、まず、お茶 本当の梅と昆布の入った梅昆布茶のんで、友人を待ちます。少し雰囲気写真です。陶磁器やガラス器なども楽しめますよ。いいね。こういう趣味のお店は、ほっとします。
先付け 正月らしく、あわびの器に水引き(あわび結びだったような気が、ゆずりはと裏白がそえてあります。なかはごまめ、ごぼう、数の子 数の子はうすめの上品なおあじでした。これは絵で書きますわ。下手ですが、、、こんな感じ
椀物 お雑煮ですね。正月らしいお碗に、からすみのはいった白餅(からすみ餅)、あわび、紅白、かぶら からすみのはいった餅もお出汁もおしかった。からすみ餅は紫野和久傳(むらさきのわくでん)なんかでおもたせであるようですね。修行先ですね。そういえば、丸山の包丁さばきはすごいともおっしゃっていました。
向附け てっさとからみ大根。 てっさはからみ大根ともあうね。白く高く盛られた辛味大根が雪っぽくて季節を感じます。あわせるポン酢は薄くて力強い味です。
お凌ぎ 鰤(ぶり)のにぎり(ブリの上にたたきいもとわさび)天然ぶりはやや濃厚な色合いなので、このぶりにのっている緑と白が妙にモダンでした。
強肴  蟹シュウマイ 蟹のかおりが香るかにしゅうまいでした。
焼き物 ふぐのつけおきの炭で焼いたもの  しゃぶりつきました。ふぐの焼き物はしゃぶりつきですね。
酢の物、揚げ物、煮物 このわたとなまこ くわいのせんべいとふぐの煮凝り 
炊き合わせ 助子の昆布巻き、うめにんじんなどその他。再度正月風に、お出汁がおいしいです。
食事 佐久の白米、赤出汁、香の物、 ごはんたしかにおいしかった。炊き込みにしたときもあったけど、白ご飯で出しているとおっしゃっていました。
水物 黒ゴマプリンといちご(料理と関係ない話ですが、いちご、今年は赤くなりにくいそうですね。)
お菓子 ほしがきにあんこをいれたものをてんぷら(一緒に行った干し柿苦手な友人が美味と食べていましたよ。)
抹茶 煎茶茶碗でぐびっと。あー完食。おいしゅうございました。。とにかく、味つつけのお出汁が美味です。
冷酒晴海バカラでぐびっつ。燗酒はちょいあつでおちょこでぐびっつ。って感じです。
また通わないと行けない店ができたなあ。皆さん飯田さん覚えておいてください。大将は引っ込んでいるのがもったいないいい男です。でも、出たり入ったりするからまたいいのかな。
その後はカルバドールにはふられたので、その日の夜はその後もう一軒 日本酒のお店酒バーよらむに行って帰宅しました。東洋美人(611)と大虎と、、、、、忘れた。友人は一泊するのでそれからカルバドールへ。いいなあ。
しかし、京都寒いわ。!研究している頃を少し思い出しました。(写真の時間がどうも一時間ずれているな。グアム時間になってるわ。)

京都 飯田  http://r.tabelog.com/kyoto/A2602/A260201/26016833/
京都府中京区姉小路富小路西入る南側 075-231-6355
酒バー よらむ http://www.sakebar-yoramu.com/about.html
京都市中京区二条通り東洞院東入る南側 075-213-1512

梅市 1-鯛かぶらと器と日本料理!―

今は昔。2011年1月12日の壱の膳の話。

先だって、ミナミの日本料理の梅市に伺いました。大将は奥田高光氏です。有名な方です。時々伺うバーのマスターから紹介されていたのですが、なかなかうかがうことができずにいました。 おいしくいただいた料理はざっと、以下のようなもの。紅白膾(なます)(いくらで赤を表現していたのかな。)子持ち昆布、たけのこ、からすみ(扇のうつわ)おわん エビ(人間国宝の人のお碗とおっしゃっていました。お碗だけ写真とったつもりがない。)てっさ  鯛かぶら  あまだい焼き物(うつわは松、竹、梅) うに、かになどのあえもの ひろうず  さば寿司(熊野灘のさば) 洋ナシのシャーベット (扇の料理の写真)

というところで、大将がよっ!日本料理の大将という雰囲気の豪快な大将で、お弟子さんたちにはきっと怖い方なのでしょうが、きっと、この教えが、次の料理人を育てていくのでしょうね。
料理は、さすがっ!日本料理っていう料理で、出だしの3品からはお正月を感じる料理と器からでした。椀物のお碗と焼いたあまだいの器がよかったのですよ。(椀物の写真、確かにお碗だけ撮った筈なのに、すでに酔っている)

今日おいしかったのは、ふぐもですが、鯛かぶらがおいしかった。鯛の出汁で、蕪を炊いてというものですが、この汁と味のしみた蕪、蕪も柔らかすぎず、硬すぎず、絶品でした。料理屋で食べておいしいと思える一品ですね。肝心の写真がピンボケで写真なし。 当然、鯛は当然、焼いてもおいしい。 うつわも松竹梅です。(焼き物の写真)

関西では、ひろうず(飛竜頭)といいますが、関東ではがんもどき(雁元、雁擬)とよぶそうです。以前、長崎旅行した時、ひろうずの由来はポルトガル語のお菓子「フィリオース」(果物を小麦粉でまいてあげる)の製法に似ているからか真似したからと聞きました。(さすがに、ひろうずは写真栄えしませんね)
さば寿司は女将さんからは熊野のさばということでした。脂は少ない感じで身がしまった感じでした。よく食べるさば寿司と少し違った印象の一品でした。最後のデザートがなくてもよいほど、口がすっきりしていました。(さば寿司)

料理の写真ですが、もともとブログというより、自分の防忘録として、携帯で酔っ払いながら撮っているので、焦点あってないですねこれから、ブログにのせるとなるとカメラいりますね。(面倒だな。。しばらく携帯で。)。[#IMAGE|S7#]

今月はあと3件ほど日本料理に行くので、正月風の料理楽しみたいですね。
ちなみに、は大好物です。刺身もおいしい。腹は脂おおいのでその日でも、背は一日おくとおいしい。鯛めしも大好きです。昨年一番おしかった鯛を食べたお店は松弥という店です。この話はまたの機会に。


梅市
http://r.tabelog.com/osaka/A2702/A270201/27000909/
大阪府大阪市中央区東心斎橋1-6-3 ハイツ千年町 2F
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瑞祥

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